ご訪問ありがとうございます。
八潮市にあるメディカルアロマを使用したサロン、アヌエヌエです。
私がどうしてセラピストになったのか、、、
前回の続きを聞いてください(^_-)
前回の記事はこちら
京都の急性期病院での仕事に疲れ
石垣島に移住しました♪
当時趣味がスクーバダイビングだったので
友人が働いていたダイビングショップで
1日お休みがあれば
ダイビングに行って楽しもう!!
とワクワクo(^▽^)o
でも実際はなかなか大変でした。
風習や八重山タイムと言われる
時間の流れに慣れて
生活自体は楽しかったのですが。。。
病院で仕事をしていくうちに
色々な想いが出てきました。
働いていたのは慢性期の病院
療養型病院の中の一般病棟でした。
急性期病院での治療が終わり
家庭に戻るまでの中間施設です。
療養型の病棟と、リハビリテーション病棟
老人保健施設も併設しているので
そこに入院、入所している方が
肺炎や急に体調が悪くなり治療が必要となった場合に
移ってくることも多い病棟でした。
沖縄ですから
入院患者さんも80歳といえば
「まだまだ若いね〜」という年齢層です(^_^)
肺炎などを起こすと命に関わります。
そして、急に体調が悪くなり
生命の危機になった場合
人工呼吸器や心臓マッサージ
強心剤、昇圧剤などで
積極的に治療を希望するかどうか
ご家族にドクターから確認されます。
この頃、
今すぐ蘇生をするかしないか選択してください!!
という場合がほとんどでした。
一応、入院時に急変時の蘇生の有無を確認する様になっているのですが、、、
石垣島のドクターはのんびりしていて
確認した試しがない(._.)
いきなりそんな事を言われた家族の反応は
大体、訳がわからない状態ですよね。。。
沖縄は大家族なので、
いろんな行事が他の家族より多いんですよね〜。
例えば、結婚式は孫やひ孫、玄孫まで。
そんな行事があるとほぼ100%のご家族が
「 延命処置 」を希望されます。
それをすると患者様の状態がどの様になるかの説明はほとんどありませんT^T
一旦人工呼吸器を装着すれば
自発呼吸(自分で呼吸する事)がなければ
心臓が止まるまで外す事はできません。
ただ、機械と薬で生かされている状態が続きます。。。
家族のイベントが終了した家族は
いつまでこの状態が続くのか?
経済的にも精神的、体力的にも疲弊してきます
あれだけ「まだ大丈夫ですか?頑張れますか?」という目で見ていたご家族が
「後どのくらいですか?」という気持ちに変わってきます。
実際に言葉にするご家族も。。。
本人は、とっても苦しいのに
好きでこんな状態になったわけじゃない!!
早く楽にしてくれ!!!
という声が聞こえてきそうでした(/ _ ; )
苦しい思いをしている患者さんが私とリンクしてしまい、
ご家族とあまり関わりたくないという思いがだんだん強くなり、
深く関わろうとしませんでした。
延命処置をすることがどういう事なのかしっかり説明しない、
患者様やご家族と向き合おうとしないドクターへの信頼もなくなり
「私は何のためにナースになったんだろう。。。」と悩み、
約3年間病院から離れる事にしました。
いつしか病気の人をケアするのではなく
病気にならない様にするお手伝いをしたいなと思うようになりました。
そしてリフレクソロジーやイトヲテルミーなどの
民間療法を学びはじめました♪
本当に人と深く関わろうとしなかったし、
傷つきたくないから自分を殺して
上辺だけの関係を続けるしかありませんでした。
頑張っていてもわかってもらえない
諦めや絶望で
いっぱいでした。
だから一人が楽でした。
そんな状態の私が
どんな行動をしたのか。。。
またお話ししたいと思います。
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